「わたしのマンスリー日記」第13回 人は人を幸せにできる! きっと

広がった交流

 ALSを宣告されて一番恐怖だったのは、社会的に孤立することでした。これまで交流のあった知人・友人・教え子たちとの交信も途絶え、一人寂しく死を迎えるのかと思うと涙がこぼれました。
 しかし、それが全くの杞憂に過ぎなかったことに気づくのに、それほど時間はかかりませんでした。これは大きな嬉しい誤算でした。発信する度にリアクションが拡大していきました。その大半が私の生き方に感銘した、勇気をもらったという類いのものでした。正直戸惑いました。ALSを発症するまでの72年間一生懸命生きてきた自負はありましたが、自分の生き方が人様に影響を与えるなどとは夢にも考えたことがなかったからです。
 確かにこれまで、世のため人のためにたくさんの著作を世に問うてきましたが、直接的には学者として作家として少しでも大きな成果を残したいという思いでやってきたものです。
しかし、ALS宣告以降の著作は明らかに違う意図で書くようになりました。ALSという難病にめげず執筆を続けることが、周りの人々に生きる勇気と元気を与えているかもしれないと考えるようになったからです。そのことに気づかせてくれたのは、何と見ず知らずの小中学生たちでした。

「絶望さえしなければ夢はつながる!」

 『日本列島 地名の謎を解く』(東京書籍、2021年)に大分県にある「姫島」の由来について書いたことがきっかけで、大分市立半田小学校の6年生との命の交流が生まれました。この交流を生んでくれた石井真澄先生は学年集会を開いて、ALSに負けずに本を執筆している私のことを紹介したそうです。そしてその感想文が届きました。これが半田小学校の6年生たちとの命の交流の始まりでした。
 学年集会の後、石井学級では道徳の授業で中国から日本にわたって唐招提寺を開基した鑑真和上について学んだそうです。鑑真は日本からの依頼で幾度も渡日を試みるも嵐に遭って果たせなかったのですが、諦めずついに6度目の挑戦で無事に日本にたどり着いたという偉人です。すると子どもたちの中から「谷川先生と同じだ」という声が次々に挙がったとのことです。まさかまさか、あの鑑真と重ねて見られるとは夢にも思いませんでした。
 私が半田小の6年生に送ったメッセージは、「絶望さえしなければ夢はつながる!」でした。このメッセージはその直後出した『夢はつながる できることは必ずある!-ALSに勝つ!』(東京書籍、2022年)にそのままつながっていきました。同書には交流の一部始終を書きましたが、子どもたちの率直な優しい心に感動して、パソコンを打ちながら涙を抑えることはできませんでした。
 次に紹介する文章は吉田苺花(まいか)さんの「卒業論文」の一部です。吉田さんは卒論で地元の熊野神社のポスター作りに取り組んだのですが、うまくいかずくじけそうになったそうです。でもその時私のメッセージを思い起こして奮起しポスターを完成させたそうです。そして次のように書いています。

関連記事一覧